津田梅子として写真が拡散された一柳満喜子って誰?あの朝ドラにも関連した人物だった!

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先週末頃から「若い頃の津田梅子」だとしてネットで拡散されていた写真が、まさかのまったく別人の写真だったということがわかりました。

津田梅子の写真の中で一番きれい、と言われた目鼻立ちのハッキリした美人さんの正体は一柳満喜子(ひとつやなぎまきこ)さん

「じゃあ、この人はいったい誰なの!?」と思って調べてみたのですが、一柳満喜子も津田梅子と同じく日本の教育事業に尽力した人物でした。
さらには、NHKの朝ドラ「あさが来た」のヒロイン・あさのモデルとなった広岡浅子とも深い関わり合いをもっているとか。

そしてそして、実は津田梅子ともご縁があるということが判明しました。
果たして、どのような人生を歩んだ人なのでしょうか?

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「あさが来た」東柳啓介(工藤阿須賀)の妹!

一柳満喜子さんは、「あさが来た」のヒロイン・あさのモデルとなった広岡浅子さんの娘婿・広岡恵三さんの妹さんです。

というとややこしく聞こえますが、ドラマで言うところの東柳啓介の妹にあたる人物。
つまりは、工藤阿須賀
の妹!
そりゃあ美人でしょうよ、と納得です。 ←それでいいのか

兄が婿入りした広岡家に家庭教師として出入りしていた満喜子は、その縁で浅子と出会い、さらには将来の夫となるヴォーリズとも出会いました。

ヴォーリズは米国人建築家で、日本で多くの名建築を残しています。
そして、メンソレータム(現・メンターム)の輸入販売事業を手掛けて日本にメンソレータムを普及させた人物でもあるそうです。

ちなみに、「あさが来た」の中ではヴォーリンガーとして登場しています。

満喜子は華族令嬢でしたので、外国人との結婚は異例中の異例。
当然ながら周囲は工藤阿須賀兄の恵三を含めて大反対したそうですが、浅子の強い後押しがあって結婚にこぎつけることができたのだとか。

米国の女流作家であるグレース・ニース・フレッチャーがヴォーリズと満喜子の生涯を記した「The Bridge of Love」は、「メレル・ヴォーリズと一柳満喜子 愛が架ける橋」として日本でも出版されています。

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津田梅子と一柳満喜子の意外な縁とは?

ということで、津田梅子とはまったくの別人物だった満喜子ですが、実は梅子と縁もゆかりもない人物…というわけではありません。

一柳満喜子(1884-1969年)は明治生まれながら、アメリカの大学に留学をしてキリスト教の洗礼を受け、私立清友園幼稚園(現・近江兄弟社学園)を設立するなど、当時の日本で先進的な生き方をした女性でした。

その留学をした先というのが、ペンシルバニア州の「ブリンマー大学」。
津田梅子が再留学をしたアメリカの名門校です。

梅子は自分のあとに続く女性たちのためにと、ブリンマー大学在学中に「日本婦人米国奨学金」委員会を設立しました。
満喜子のアメリカ留学は、日本最初の女子留学生である津田梅子という先駆者があったからこそだったと言えると思います。

また、満喜子アリス・M・ベイコンを恩師として仰いでいましたが、この女性は津田梅子らの招へいで英語教師として来日して日本の女子教育に大きな影響を与えた人物でした。

津田梅子の写真だと誤った拡散をされた一柳満喜子ですが、実は津田梅子とは浅からぬご縁があったわけです。

これを機に、梅子と同じく日本の教育事業に尽力した一柳満喜子さんにもスポットライトが当たるといいなと思います

 

 

 

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